11月8日
党の埼玉県選出国会議員懇談会が開催され、衆参17人の国会議員がほぼ全員出席し、皆本音で文字通り自由に懇談しました。本日の主旨は、大野松茂官房副長官,新道義孝経済産業副大臣,並木正芳環境大臣政務官,金子善二郎国土交通大臣政務官の就任祝いの会でありましたが、話の中心は次の衆議院選挙でした。遅くとも春までには衆議院解散・総選挙と考えられる状況下で、誰も政情に甘い予測は持っていません。一寸先は真っ暗な政治の道の緊張感に慣れてくると、とにかく今現在にベストを尽くす他ないのだという純粋な心情にもなってきます。そういった境遇にある仲間と語り合うのは結構楽しくて、また、集まろうという話になりました。
11月6日
社団法人埼玉県介護老人保健施設協会の設立祝賀会に出席しました。協会の皆様は、既に長い活動の歴史の中で、地域福祉に対し多大な貢献をされてきましたが、本年、社団法人化されたとのことでした。医療費抑制政策の下、医療・介護従事者の現場を取り巻く環境は、厳しくなる一途です。若手の介護士の皆様からは、「とても辛い介護業務に真面目に取り組んでいるのだから、まともに結婚できる給与がもらえる制度にして欲しい」という切実な訴えをうかがっています。次年度からの医療保険・介護保険の診療報酬改定の議論は今後詰められていくと考えられますが、逼迫する財政の中で、日本の社会保障制度をどうやって支えていくのか、根本的に論じていく時期に来ていると思います。
11月5日
片山さつき衆議院議員のパーティーに出席しました。片山議員は浦和出身で、7月にも埼玉に応援に来てくれました。田原総一郎氏、テリー伊藤氏とのトークで、丸川珠代参議院議員が司会をやり、テレビ局が入るという豪華さでしたが、片山議員の持ち前の論理的でポイントを突いたコメントが光っていました。
各種の報道によれば、小沢民主党代表は前日の辞任発言を撤回し、慰留に応じることとなるようです。政権獲得を公言する政党の代表が、一日で辞任の意向を翻したことに対しては、「国民不在の茶番」との批判は当然でしょう。ただ、与党内でもこの問題をとやかく言う人は意外に少数です。自民党自体、参議院選挙大敗のショックから立ち直っていませんし、次回の衆議院選挙へ向けて強い危機感が溢れています。また、それ以上に、衆参逆転で国政が滞る中、政界再編成によって難局を乗り超えようとする動きが起こるのは自然な経過であり、この問題は、動き出した政局の端緒に過ぎないと多くの議員が感じているからです。政治家としては政治の大波を巧みに乗り切る処世術は重要でしょう。片山議員も、「政治家なら、政策だけでなく、政局も出来なければならない」と言っていました。「政治家にはバランス感覚が必要だよ」と諭してくれた先輩議員もいます。ただ、1993年の連立政権成立以来、政治は常態として右往左往を続けており、結果としては、政治不信が増し、マスコミの論調に左右され易い脆弱な体質になってしまった気がします。国益のために筋を通す――たとえ波乗りに失敗しても、初志を失わずに頑張りたいと思います。
11月4日
秋晴れの爽やかな一日になりました。数多くの行事が開催されており、岩槻を中心に、ご挨拶をしながら廻りました。
民主党の小沢代表の辞任会見がありました。真偽は分かりませんが、自民党との大連立構想に前向きな考え方を持っていたことは事実のようです。民主党執行部では批判されたようですが、衆参の捩れによって、国会が国民のための機能を果たせなくなっている現状を考えると、大連立構想はもっともな考え方のはずです。マスコミの論調も様々ですが、党略に溺れて喫緊の政策課題への対応を遅らせることは、民主党議員の誰も望むところではないでしょう。今こそ、両党が国民から付託された責任の大きさの認識を共有し、協調すべきところは協調し、競うべきところは競っていく体制の構築が必要なのです。それを「大連立」体制として行っていくか否かは、一つの手段選択の問題であり、十分検討に価すると思います。
11月3日
三郷の鈴木義弘県議会議員の後援会が主催した早稲田地区の会合にお招きいただきました。鈴木県議は同い年ですが、すでに3期目の政治キャリアを持ち、現在までの数々の実績が支援者の方から大きく評価されています。同席していた八潮の大山忍県議、岩槻の小島信昭県議とともに、鈴木県議には、自民党埼玉県連青年部の活動を通じて、多大なご支援とご指導をいただいてきました。今後も、密に連携して、頑張っていきたいと思います。
11月2日
民主党が参議院先議ということで提出していた年金流用禁止法案が、参議院で強行採決されました。与党としては、初めての経験ということでしたが、快くないことは事実です。この法案は、衆議院で審議されれば、与党の反対で否決されることになるでしょう。その他にも民主党が参議院に提出している法案は幾つかありますが、与野党が協調の契機を見出さない限り、同様な経過をたどる可能性があります。一方、政府が提出している法案も、参議院では審議に入れないでいるものが数多くあります。その多くは急を要する課題を解決するための法律であり、国民生活を守るために、本国会で成立させる必要があります。国民不在の政争は許されません。早急に与野党が真摯な話し合いを行い、競うべき課題は競い、協力すべき課題は協力していく態勢をとる必要があります
夜は川口リリアホールにて開催された、ピアニストの倉田真里さんとウィーン・フィルの首席チェロ奏者であるロバート・ナジさんによるデュオ・リサイタルを聴きに行きました。倉田さんは、京都生まれですが、音大時代は川口のご親戚に下宿していて、毎日リリアホールの前を通って通学されたそうです。素晴らしい演奏で、2曲のアンコールが終了するまで満喫させていただきました。もともと、ジャズやクラッシックの演奏会に出掛けるのは大好きですが、本年は選挙のこともあり足が遠のいていましたが、久々の感激でした!
11月1日
医療紛争処理のあり方検討会が開催され、医療側代表者から意見聴取が行われました。昨年、福島県の大野病院において産婦人科医師が逮捕されるという事件が発生しましたが、このような医師に対する重い刑事制裁が、勤務医の過重労働の原因の一つになり、地域医療が危機に瀕したことから、国会内でも、にわかに議論が高まりました。ただ、医療の現場では、既に8年前から、何度も何度も繰り返し指摘されてきた問題です。私は、医療と法の両面いおいて、当初よりこの問題に専門的に関わってきましたので、ようやく最初の法制度化に至るところまで来た現状を嬉しくは思っています。とりあえず診療行為によって偶発的な患者死亡が発生したような事案については、中立的第三者機関に届出が行われ、そこで透明性のある解剖と検証が行われることになりそうです。ただ、刑事被疑との関係や、届出の範囲の解釈など残る問題点も少なくあり、制度がどの程度に実効的な運用が可能かも未知です。国民から信頼される医療のために、この制度をより良いものとするため、一生頑張っていきたいと思います。
10月31日
原爆症の新しい認定のための与党の会合がありました。この問題は、被爆地である広島県の議員と長崎県の議員が最も関心をもっていますが、医療に関する科学的知見の取扱いの問題であるため、私は当選直後から検討に加わるように要請され、多くの見解を述べてきました。従来の認定基準の科学的側面の問題点は、過去の世界史で実際に人が被爆した事件は僅かであり、そこでの被爆線量なども、後日の必ずしも信頼性の高くない推計を基にしている点にあります。他県が中心の問題ではありますが、国民のために専門性を発揮する場が少しでも多くあることは、議員となった初志にも叶うことで、今後も頑張ってまいります。
10月30日
自民党青年部の研修会に招かれ、山梨の石和温泉へ行きました。この度の参議院選挙の総括について、また、党の中央と地方の意思疎通について、多くの意見が出されました。継承の中にあって改革を遂げていく若い保守層こそが、これからの日本の担い手です。如何にして、彼等に政治過程の中に参画してもらうかが、喫緊の課題になっています。党の青年部のメンバーの多くは、20代や30代の前半までに政治の世界に入っていた人間が多く、その意味で、一般社会で生活する人々の暮しぶりや考え方を本心から理解するには、相当の努力が必要だろうと思います。
10月28日
児玉で開催されたMOA埼玉が主催する「自然農法と健康の里祭り」にお招きされ、「医農連携と地産地消」という演題で講演を行いました。今や国民の半数近くが予備群とされる生活習慣病を予防するための鍵は、なんと言っても、食生活の改善と運動量の増加です。「何を」「どうやって」食べるか?どうやって無理なく運動を増やすか?言うは易く行うはしの問題です。脂分を控え、良質なタンパク質を多く、炭水化物の摂取を調整する。日常生活の中で、よく歩き、よく動くように心がける。日本食は、世界で最も美味しく、かつ、最も健康的な料理です。安全で質の高い日本の食材、特に地域で採れた新鮮な食材を食べることは、生活習慣病予防の第一歩といえます。
その後、南へ向かい、熊谷医師会の60周年記念式典に出席した後、三郷の鈴木義弘県議会議員の後援会が開催した彦根地区の会合へ伺いました。北西部から最南東まで動き、埼玉県の広さを改めて感じた1日でした。