1月11日
三郷、次いで越谷と、市議会議員の後援会の皆様が主催する新年会に出席しました。
午後は、山口智副会長の厚生労働大臣表彰祝賀会を兼ねた埼玉県鍼灸師会の新年会に出席しました。山口先生には、日頃より大変温かなご指導をいただいておりますが、その学術面における深い見識と気さくで誠実なお人柄を、心より尊敬申し上げてまいりました。そのご努力が評価されての今回の受賞を、皆様、我がことのように嬉しく語っていました。
1月10日
午前中は幸手で三ツ林隆志衆議員議員が主催する恒例の14区新年会に出席しました。
午後は、川越医師会、次いで接骨師会浦和支部の新年会に出席しました。
1月9日
医療経済研究機構の主催する新春特別講座で講演しました。医療政策の第一人者である慶應義塾大学経営管理研究科の田中滋教授を座長とし、保坂隆東海大学医学部精神科教授、後藤隆久横浜市立大学麻酔科教授、河口洋行国際医療福祉大学准教授と私の4人のシンポジストとなりますが、幸いに好評で、この4年間は同じ5名のメンバーにより異なる主題について議論しています。厚生労働省の幹部や多くの医療政策学者も聴衆として参加しています。本年は、「医療へのアクセスと資源配分―医療崩壊への処方箋を考える―」がテーマです。主に、医師不足といわれる問題の客観的な分析と合理的な施策について話し合いました。
夜は熊谷市三師会の新年会に出席しました。
1月8日
運動器議員連盟の会議に参加し、長寿社会の形成や介護予防における運動器の医学的重要性について講演を聴き、議論しました。その後出席した公務員制度改革の政策部会では、多くの議員とともに、いわゆる“わたり斡旋”の即時禁止や公務員給与の削減について、諸省庁の官僚と激論が交わしました。
夜は、埼玉県の医薬品流通企業の皆さんの新年会に出席した後、外科学教室での恩師である慶應義塾大学包括先進医療センター長の久保田哲朗教授の通夜に参列しました。久保田教授は、日本の胃癌と抗癌剤研究の第一人者で、私が博士論文での主題とした癌研究やその他の腫瘍外科学の研究に関し、多くを直接ご指導いただいた方です。私より16歳年上で、素晴らしい兄のような存在でした。未だ還暦を少し過ぎたばかりで、お元気ならまだまだ多くの仕事をやり遂げられたはずの方ですが、残念ながら、ご自分の専門であった癌に倒れられました。
久保田教授は、本年2月に予定されている第42回制癌剤適応研究会で会長を務められる予定でした。ご自身が中心となって大きくしてきた研究会であり、会長としての想い入れも大きかったはずで、皆、久保田教授の会長講演を聴くのを楽しみに思っていました。ただ、私が10月に久保田教授から受けた最後のメールでは、「会長講演はやらない、その変わり、お前が特別講演をやれ」というご指示で、ご自分が最近纏められたスライドを参考に添付していました。私は真意を図りかねましたが、今になって思えば、その時、既にご自分の近い死期を悟っていらしたのだろうと思います。通夜では、涙が止まりませんでしたが、立派に追悼講演を行うことで、今までのご恩に少しでも報いたいと思います。
1月7日
昼は埼玉県自動車整備振興会の新年会、夜は埼玉新聞社主催の「豊かな埼玉をつくる県民のつどい」に出席しました。
1月6日
富士見の神山佐市県議の県政報告会に出席し、挨拶しました。
1月5日
第170通常国会が開会しました。“捻れ国会”の状況の中、異例の早期召集となりました。急速に悪化する経済情勢の中、一刻も早く、第2次補正予算、2009年度予算を成立させ、国民の皆様の生活を支え、雇用を守っていかなければなりません。
国会の時間を挟んで、さいたま市の新年名刺交換会に出席しました。
1月3日
春日部の石川良三市長の恒例の新年会に出席し、挨拶しました。
1月2日
新年の休暇で来日したOxford時代のアメリカの友人と会い、旧交を暖めました。ただ、話題の中心は専ら世界経済危機の現状とオバマ新政権の経済対策についてとなりました。日米を問わず、今は大胆な金融緩和を行うとともに、破格の国費投入を行って消費を下支えし、この経済危機を乗り切り、一刻も早く不況から脱しなければなりません。ただ、その後に残る財政赤字をどうやって処理していくのかが、これから10年近くの間は先進諸国の大きな問題となるでしょう。今後も世界各国で頑張っている同級生と情報を交換し合い、政策提言に役立てていきます。
1月1日
地元岩槻で元朝の朝起き会にお招きいただき、新年のご挨拶をしました。午後は、地元の皆様に新年の挨拶に回るとともに、生誕地である新町の猿田彦神社、その後、久伊豆神社に参拝しました。