1.はじめに 沖縄県の米軍普天間飛行場の移設が最大の争点となった名護市長選挙の投開票が2010年1月24日に行われ、名護市辺野古への移設に反対する稲嶺進氏が初当選を果たしました。鳩山由紀夫首相は、2009年11月14日に、記者団との懇談で名護市長選について触れ、市長選結果を見て方向性を定めていくと述べており、普天間基地の移設問題は重要な局面を迎えようとしています。そこで、今回のトピックスでは、普天間基地移設問題について考えてみたいと思います。 |
2.在日米軍の概要と沖縄 現在、日本には85の米軍基地(米軍専用施設)が存在しており、米国防省によれば、在日米軍人員数は、陸軍が2,594人、海軍が3,779人、空軍が12,711人、海兵隊が16,881人(2009年9月30日時点)となっています。 在日米軍の意義について、防衛省は、米軍による施設・区域の安定的な使用は、日米の共同対処のために重要であり、在日米軍は抑止力としても機能し、米軍の来援の基盤となるものであり、我が国の防衛及びアジア太平洋地域の平和と安定の維持にとって不可欠であると説明しています。 在日米軍の特徴としては、まず、(1)戦力が海軍、空軍と海兵隊を中心に構成されていることがあげられます。これは冷戦下、米国がソ連等の侵攻に備えて、大規模な陸軍を西ドイツ(当時)と韓国に配備し、一方、在日米軍には有事の際、前線部隊を増援する役割を担わせていたことに由来します。 また、(2)戦力が沖縄県に集中していることも在日米軍の特徴です。現在、在日米軍基地の約74%が沖縄県に集中し、沖縄本島の約18%が米軍基地に占められています。これは、(3)沖縄が1972年まで米国の統治下にあったという歴史的経緯と、(4)沖縄の戦略的な重要性によるものです。すなわち、近代戦においては、時間と距離、近接性が重要な意味をもちますが、沖縄は、台北まで633km、上海まで835km、ソウルまで1,260kmの位置にあり、アジア太平洋地域のいずれにも短時間で展開可能である点で、大きな地政学的意義・利点を有するのです。 |
3.SACO最終合意と普天間基地移設問題 前述のとおり、沖縄には米軍基地が集中し、市街地にも隣接しているため、沖縄県民は、騒音、環境汚染、米兵の犯罪等の問題に悩まされ続けてきました。1995年には、海兵隊員による少女暴行事件が発生し、沖縄の怒りは頂点に達しました。大規模な県民集会が開催され、日米両政府に基地問題の解決を強く求めました。 これに対し、日米両政府は、「沖縄に関する特別行動委員会」(Special Action Committee on Okinawa:SACO)を設置し、約1年に渡り、沖縄県に所在する在日米軍施設・区域に関わる諸課題を協議しました。このSACOの最終報告(1996年12月2日)において、「今後5ないし7年以内に、十分な代替施設が完成し運用可能となった後、普天間飛行場を返還する」ことが合意され、以後、普天間基地の返還条件である「代替施設」をどうするかという、現在まで続く移設問題が議論されることとなりました。 移設先について日本政府は、キャンプシュワブに近い名護市辺野古沿岸域とする案を提示しましたが、移設をめぐって沖縄の世論は大きく割れました。太田昌秀沖縄県知事(当時)が県内移設に反発し、また、移設予定地の名護市で行われた住民投票では、移設反対が多数を占めるに至りました。一方で、現実的な解決策として受け入れる住民や新基地の経済効果を重視する県民もいました。 そのような状況の中、1998年11月の県知事選で、空港の軍民共用化を条件に移設受入を表明していた稲嶺恵一氏が、海兵隊の撤退を主張していた現職の太田氏を破って当選すると、稲嶺氏は、翌年11月、移設候補地を名護市辺野古沿岸域に決定した旨を表明しました。その翌月には、岸本建男名護市長も移設の受け入れを表明し、普天間基地の返還は大きく進展するかと期待されましたが、自治体との受入条件をめぐる意見の相違や根強い建設反対運動も続けられ、普天間基地の返還は、SACO最終報告から14年余が経過した今も実現されていません。 |
4.在日米軍再編交渉と普天間基地移設問題 2001年に誕生したアメリカのブッシュ政権は、米軍の変革を推進し、例えば、ドイツと韓国においては、駐留米陸軍を削減し基地を整理統合することが決定されました。この流れの中で、2003年初頭から日米間でも在日米軍の再編交渉が行われ、普天間基地の移設問題、特に具体的な移設計画に注目が集まりました。 当初、日米両政府は、代替施設を名護市の大浦湾からキャンプシュワブ南沿岸部の地域にL字型に建設することで合意しました。これに対して、地元自治体や住民からヘリが集落上空を飛行することに強い懸念が示されたので、日本政府は計画を微修正し、集落上空の飛行を回避するため、離陸用と着陸用の2本の滑走路をV字型に建設する案を示して合意に至りました(2006年4月)。同月には、在沖海兵隊のグアム移転費に関する日米間の交渉もまとまり、総額102.7億ドルのうち、約6割にあたる60.9億円を我が国が負担することが決定されました(「再編実施のための日米のロードマップ」)。 |
5.政権交代と普天間基地移設問題 2民主党は、2005年の「民主党沖縄ビジョン」において、普天間基地の県外または国外への移設を主張していました。鳩山由紀夫内閣総理大臣も、2009年5月6日の代表就任会見で、「県外移設を目指すという考え方を変えるつもりはない。政権を取った後も基本的に県外移設を目指し、進めていきたい」と述べていました。同年8月の衆議院議員総選挙のマニフェストには、「見直しの方向で臨む」とだけ記していましたが、衆院選に大勝した民主党は、キャンプシュワブ沿岸への移設計画の再検討に着手しました。 しかしながら、ゲーツ国防長官は、現行計画以外の選択肢はないと明言しており、移設先の変更は、アメリカとの関係に悪影響を及ぼしかねない状況となっています。 |
6.おわりに これまで述べてきたように、普天間基地の移設問題は、日米両政府や関係自治体、住民などの長年の議論と様々な利害調整を経て行われてきたものです。これをゼロベースで見直すということは、関係者の信頼を裏切り、外交上・防衛上の混乱・混迷を招くだけです。何より、移設先が整備されない限り、小学校の校庭に隣接された普天間基地は返還されないままとなるわけですから、住民の危険や不安感は残りつづけることになってしまいます。 日本政府は、国防の懸案事項を地方自治体の選挙結果に委ねようとするのではなく、何よりも早期に、自己の責任で、決断を下すことが求められます。 ※調査と情報第664号(国立国会図書館)を参照した。 |
2010.02.16